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17.5 劣化予測

17.5.1 統計的劣化予測とマネジメント曲線

劣化予測手法には大別すると、力学的手法と統計的手法があります。力学的手法は、模型実験などを通して劣化・損傷のメカニズムを解明した上で理論的検討、あるいは経験則に基づいて予測式を導出する手法です。一方、統計的手法は膨大な量の目視点検データの背後に存在する統計的規則性を記述する手法です。したがって、力学的手法は特定の社会基盤施設や部材を対象とするミクロな視点での劣化予測には有利ですが、統計的手法はその反対に社会基盤施設全体を対象とするマクロな劣化予測に有利です。力学的手法と統計的手法のいずれをアセットマネジメントの劣化予測手法として採用するかは当然ながらその最終目的に大きく依存します。しかしながら、力学的手法は対象とする劣化・損傷ごとに必要となる情報や予測式が異なること、必要となる情報の取得が通常の点検業務に組み入れられていないことから実践上不利であることは否めません。これとは対照的に、統計的手法は、すべての社会基盤施設に目視点検が義務付けられていること、目視点検結果が離散的な健全度として評価されているならば、対象となる社会基盤施設や劣化・損傷が変化しても劣化予測手法(例えば、マルコフ連鎖モデル)が不変であることから実務との整合性は高いです。

目視点検データ(visual inspection data)に基づく統計的手法に関しては1点だけ事前に留意しておくべき事項があります。それは、後述するように、劣化予測曲線の縦軸が目視点検結果(健全度)となることです。目視点検は点検者の経験的、主観的判断により、社会基盤施設の表面状態から社会基盤施設の健全度を評価するものです。したがって、力学的手法のように、耐荷力や耐久性などの物理的性能を把握できるわけではありません。力学的手法のアウトプットをパフォーマンス曲線と呼ぶとしても、統計的手法のアウトプットは決してパフォーマンスを表現しているわけではありません。ここで大事な点は、目視点検は社会基盤施設の物理的性能を表現していないが、目視点検結果と補修工法・タイミングが連動していることが多く、補修工法やタイミングを決定するための情報を直接提供していることです(そもそも目視点検の健全度は補修時期を見定めるために設定されています)。したがって、アセットマネジメントにおける劣化予測の目的がライフサイクル費用評価における投資タイミングの決定にあるならば、目視点検結果を評価軸に劣化予測を行う統計的手法の方が実務とは整合的です。パフォーマンス曲線と比較して述べるならば、統計的手法のアウトプットは、「マネジメントの対象となる劣化過程に関する平均値的情報」を与えるマネジメント曲線とでもいうべき性質を備えています。

17.5.2 マルコフ劣化ハザードモデルの変遷

(1) 劣化予測モデルの変遷

統計的劣化予測においては、劣化の進展を離散的な健全度で評価した点検データ(多段階の健全度データ)が多く用いられます。このような統計的劣化予測手法の中でも、複数の指数ハザードモデルの多重化によってマルコフ推移確率を表現した多段階指数ハザードモデル(以下、マルコフ劣化ハザードモデル(Markov deterioration hazard model))1の開発を契機として、非集計的なマルコフ推移確率の推定法が確立され、健全度評価に基づいた劣化予測の精度が大幅に向上しました。統計的手法による劣化予測結果を用いて、ライフサイクル費用評価や点検・補修・更新戦略の策定の合理化2が可能になりました。図17.5に、マルコフ劣化ハザードモデルをベースとした統計的劣化予測モデルを整理しています。2005年のマルコフ劣化ハザードモデルの開発以降、同モデルに基づく先端的な統計的劣化予測モデルが開発されています。これらのモデル開発の変遷を、ここでは三つのフェーズ(「データ制約の解消」、「ミクロな単位での劣化評価」、「複合的劣化予測・複数種類の指標による多元評価」)に着目し整理します。なお、社会基盤施設に対する点検データは、上述した多段階の健全度データのほかに、健全度を2値評価する場合や、損傷や不具合の発生個数を評価する場合があり、それぞれワイブル劣化ハザードモデル3やポアソン発生モデル4で表現されます。

(2) データ制約の解消

第1フェーズとして「データ制約の解消」を目的としたモデルの発展が挙げられます。これは点検の役割として、社会基盤施設の損傷・劣化の検出が重視され、アセットマネジメントを稼働するための情報収集手段という認識が希薄であることが要因です。以下、この観点からのモデル開発の事例を時系列的に提示します。小林ら5は、補修による点検データのサンプル欠損問題(補修を実施することによって、健全度が低下した社会基盤施設に関する点検データを獲得することができないという問題)に対して、マルコフ劣化ハザードモデルの尤度関数に補正係数を乗ずることにより理論的な健全度分布と実測サンプル数の乖離を修正し、マルコフ劣化ハザードモデルを推定する方法論を開発しています。堀ら6は、社会基盤施設の健全度が相対頻度としてのみ獲得されているような場合に、点検データサンプル内の点検間隔の不均一性を許容できるというマルコフ劣化ハザードモデルの利点を保持しつつ、マルコフ推移確率を推定するための集計的マルコフ劣化ハザードモデルを定式化しています。青木ら7は、高速道路付帯施設のような比較的寿命の短い施設では劣化過程のマルコフ性が成立しない可能性を指摘し、複数のワイブル劣化ハザードモデルを用いて、劣化過程の時間依存性を考慮できる多段階ワイブル劣化ハザードモデルを定式化しました。小林ら8は、獲得された健全度に測定誤差が介在する場合に、真の健全度と実際に観測された健全度間の誤差を確率モデルで表現し、真の健全度における劣化過程を表現するマルコフ劣化ハザードモデルを推定するための隠れマルコフ劣化モデルを提案しています。さらに、水谷らは、点検データの獲得期間内に、健全度の判定基準が改正され、異なる基準で判定された健全度が混在するようなデータベースに対して、改正前の基準での健全度と改正後の基準での健全度間の対応関係を確率モデルで表現し、最新の基準の健全度におけるマルコフ劣化ハザードモデルを推定するための隠れマルコフ劣化モデルも提案しています9。これらの劣化予測モデルの推定手法に関しても、マルコフ劣化ハザードモデル開発当時の最尤推定法に加え、ベイズ推定法(特に、マルコフ連鎖モンテカルロ(MCMC)法)10による推定手法も開発されています11。ベイズ推定法のおもな利点として、1)経験的な情報を事前分布としてモデルの推定に利用することができる点、2)未知パラメーターを事後分布として推定できるため推定結果の信頼性評価が可能となる点が挙げられます。さらに、隠れマルコフ劣化モデルは、尤度関数が高次の非線形多項式となり、1階の最適化条件が非常に多くの解を有しているために、最尤推定法を用いて解くのは現実的ではありません。このような問題を回避するために、尤度関数の完備化操作を内包したベイズ推定法が開発されており、ベイズ推定法の開発が統計的劣化予測モデルの発展を支えています。

(3) ミクロな単位での劣化評価

マルコフ劣化ハザードモデルでは、劣化速度を規定するハザード率に劣化に影響を及ぼす要因(特性変数)を内包させることで、条件の相違に応じた劣化予測を行うことが可能です。しかし、同モデルでは、管理対象となる社会基盤施設グループの平均的(マクロ)な劣化予測を行っているに過ぎません。一方、混合マルコフ劣化ハザードモデル12の開発により、個々の社会基盤施設間に潜在する劣化過程の異質性を考慮した、「ミクロな単位での劣化評価」が可能となりました。ここでは、これを統計的劣化予測モデルの発展過程の第2フェーズと位置付けます。社会基盤施設の劣化過程は、たとえ同一の特性変数(交通量や構造条件など)を有する場合でも、定量的に観測できない要因、あるいは、そもそも不可観測である要因により、多様に異なります。これらの要因に起因した劣化過程の差異を第2フェーズ以降では異質性と呼びます。混合マルコフ劣化ハザードモデルでは、実際の維持管理体制に合わせた評価単位(例えば、路線単位、管理事務所単位、施設単位など)で異質性を評価するための異質性パラメーターが推定されます。つまり、実際の評価単位ごとにマルコフ推移確率や期待寿命を推定することができます。これらの結果を用いて、重点監視部材の抽出や、各評価単位での点検・補修施策の最適化を行うことが可能となっています。なお、混合マルコフ劣化ハザードモデルの概要は17.5.5項を参照されたいです。また、混合マルコフ劣化ハザードモデルの推定手法に関しても、モデル開発当時の段階的最尤推定法に加え、階層ベイズ推定法も開発されています13。階層ベイズ推定においては、異質性パラメーターの分布を特定化することなくモデルを推定することができます。さらに、異質性パラメーターの事前分布の分散を規定するパラメーターをハイパーパラメーターとして設定して、すべての未知パラメーターを同時推定することで、異質性の過分散問題を緩和することが可能となり、異質性パラメーターの推定精度を向上させることが可能となりました。また、階層ベイズ推定を用いて、劣化予測モデル内のすべての未知パラメーターを同時推定することにより、膨大な未知パラメーターを含む劣化予測モデルの開発、推定も可能となりました。例えば、異質性パラメーターを階層的に設定した多階層混合マルコフ劣化ハザードモデルが開発され、階層的な評価単位(例えば、路線単位と個々の施設単位の組合せ)における劣化過程の異質性を単一のモデルで同時に推定することも可能となりました14

(4) 複合的劣化予測・複数種類の指標による多元評価

上述の劣化予測モデルでは、すべて単一種類の劣化指標のみを対象として劣化予測を行うことを想定していました。しかし、社会基盤施設の劣化過程は、現実には多元的な指標を用いて評価されることも少なくありません。ここでは、このように社会基盤施設の劣化過程を多元的に評価するためのモデルや、以下で説明する複合的な劣化過程を表現するためのモデルを、統計的劣化予測モデルの発展過程の第3フェーズ「複合的劣化予測・複数種類の指標による多元評価」と位置付けます。例えば、道路舗装に対しては、ひび割れ率、わだち掘れ量、ポットホール発生個数, IRI(international roughness index、国際ラフネス指数)などを、橋梁に対しては、ひび割れ、剥離・剥落数、遊離石灰、漏水などを用いて劣化が総合的に評価され、点検・補修の計画が立案されます。さらには、単一種類の劣化指標がさらに細分化される場合もあり、例えば、道路舗装のひび割れは、縦ひび割れ、横ひび割れ、面ひび割れの3種類に大別されます。貝戸ら15は、このような舗装ひび割れの劣化過程を詳述するために、各ひび割れの健全度推移を表現するマルコフ劣化ハザードモデルに、ひび割れの種類間の推移過程を表現する指数ハザードモデルを内包した階層型指数劣化ハザードモデルを開発しています。林ら[^26]は、最も劣化の進展したひび割れの種類とその健全度のみが各点検時点において観測されているような点検データベースを用いて、3種類のひび割れそれぞれの劣化過程を表す3種類のマルコフ劣化ハザードモデルを推定するための競合的劣化ハザードモデルを開発しています。一方で、実際の社会基盤施設の劣化過程に着目すると、複数の劣化指標、あるいは劣化事象が互いに作用し合い、複合的に劣化が進展する場合も少なくありません。このような複合的な劣化過程に対しては、異なる劣化事象間の関係性を考慮したような劣化予測モデルも開発されています。小林ら[^27]は、高速道路の舗装構造において、基層以下の耐荷力の低下に伴い、路面の性能も低下していくような複合的劣化過程を非定常マルコフ過程を有する階層的隠れマルコフ劣化モデルとしてモデル化しています。さらに、基層以下の耐荷力の低下過程と路面の性能の低下過程が相互に影響を及ぼし合うような、複合的隠れマルコフ劣化モデルも開発されています[^28]。また、Nam ら[^29]は、舗装の路面の性能低下に伴い、ポットホールの発生個数が増加していくような複合的劣化過程を、ポアソン隠れマルコフ劣化モデルとしてモデル化しています。これらの隠れマルコフ劣化モデルにおける複合的劣化過程では、対象とする複数の劣化事象の劣化速度の変化に比較的明らかな相関関係が存在するような場合を想定していました。しかし、数ある劣化事象の中には、劣化事象そのものの間ではなく、第3の要因に起因して、同一の社会基盤施設において複数の劣化事象の劣化速度が増加、あるいは減少し、結果的に劣化事象間に相関関係が存在するような場合も考えられます。このような複合的劣化過程に対しては、それらの第3の要因を異質性とみなした混合マルコフ劣化ハザードモデルを各劣化事象に対して定義し、さらに、各劣化事象の異質性間の相関関係をコピュラを用いて同時分布として表現した、多元的劣化過程モデルも開発されています[^30]。

このように、マルコフ劣化ハザードモデルの開発以降、さまざまな先端的な劣化予測モデルが開発されています。図17.5で表現したように、「複合的劣化予測・複数種類の指標による多元評価」フェーズには「ミクロな単位での劣化評価」と「データ制約の解消」の考え方が含まれ、「ミクロな単位での劣化評価」フェーズには「データ制約の解消」の考え方が内包されている点が統計的劣化予測モデルの発展過程の一つの特徴です。なお、図17.5では、多段階の健全度データを対象とした手法のみを取り上げていますが、時系列データを用いて社会基盤施設の劣化予測を行うための統計的方法論[^31]も、近年、数多く開発されています。

17.5.3 マルコフ劣化ハザードモデルの概要

マルコフ劣化ハザードモデルは汎用性の高い統計的劣化予測モデルです。詳細は文献1に譲りますが、多段階の指数ハザード関数(以下、ハザード率)θi=(i=1,,J1)\theta_i=(i=1,\cdots, J-1)を用いて、点検間隔ζ\zetaの間で健全度がiiからj(ji)j(j \geq i)に推移するマルコフ推移確率πij(i=1,,J;j=i,,J)\pi_{ij}(i=1, \cdots, J; j=i, \cdots, J)

πij(ζ)=s=ijϕs1k=is1θkθkθsexp(θsζ)(i=1,,J1;j=i,,J)\pi_{ij}(\zeta) = \sum_{s=i}^{j}\phi_{s-1}\prod_{k=i}^{s-1}\frac{\theta_k}{\theta_k-\theta_s}\exp(-\theta_s\zeta) \qquad (i=1,\cdots,J-1; j=i,\cdots,J) (17.1)

と定義します。ただし、表記上の規則として

ϕi1={1(m=iのとき)k=im1θkθkθm(m>iのとき)\phi_{i-1} = \begin{cases} 1 & (m=i \text{のとき}) \\ \prod_{k=i}^{m-1}\frac{\theta_k}{\theta_k-\theta_m} & (m>i \text{のとき}) \end{cases} (17.2)

を与えます。上式は複雑な式となっていますが、ハザード率θi=(i=1,,J1)\theta_i=(i=1,\cdots,J-1)と点検間隔ζ\zetaの2変数で構成されています。点検間隔ζ\zetaは既知情報であるために、ハザード率を推定すれば、マルコフ推移確率を完全に算出することができます。目視点検データを用いたハザード率(未知パラメーター)の推定の詳細も文献1に譲りますが、任意のサンプルkkに関してハザード率を推定するために必要となる情報ξk\xi_kは、総サンプル数をKKとしたときに

ξk={(ik,jk),ζk,dk}=(健全度ペア、点検間隔、特性変数)(k=1,,K)\xi_k = \{(i_k, j_k), \zeta_k, \boldsymbol{d}_k\} = \text{(健全度ペア、点検間隔、特性変数)} \qquad (k=1,\cdots,K) (17.3)

となります。ここで(ik,jk)(i_k, j_k)はサンプルkkに対する2回の目視点検データ(健全度ペア)であり、推定のためには同一の社会基盤施設に対して少なくとも2回の目視点検を実施する必要があります。また、健全度(ik,jk)(i_k,j_k)と点検間隔ζk\zeta_kは目視点検を通して獲得することができる既知情報です。一方で、特性変数dk\boldsymbol{d}_kは、劣化過程に影響を及ぼす要因を考慮するために導入されるパラメーターであり、要因が複数存在する場合にはベクトルとなります。例えば、構造条件や環境条件が社会基盤施設の劣化過程に影響を及ぼすと考えられる場合には、これらの変動により劣化予測結果がどの程度変動するかを分析することが可能です。特性変数には、大型車交通量や気温等の定量的な変数だけでなく、構造形式や部材形式などの定性的な変数も考慮することができます。さらに、考慮した変数の中で、いずれの変数が劣化過程に真に影響を及ぼすかの判断、あるいは採用された要因の影響力に関する順位についても、各種の検定統計量により評価することができます。特性変数の評価には、台帳等に記載されている情報を活用することが可能であり、特性変数を獲得するために別途点検を行う必要はありません。したがって、劣化予測を行うために要求されるデータは目視点検データと台帳データのみであり、実務データときわめて整合的であることが理解できます。

任意のサンプルkkに関して獲得できる情報を改めてξ^k={(i^k,j^k),ζ^k,T^k}\hat{\xi}_k = \{(\hat{i}_k, \hat{j}_k), \hat{\zeta}_k, \hat{\boldsymbol{T}}_k\}と記述します。ただし記号^\hat{\cdot}は実測値であることを示します。ここで、式(17.1)より明らかなように、マルコフ推移確率は、各健全度におけるサンプルkkのハザード率θi(k)\theta_i^{(k)}と点検間隔ζ\zetaに依存します。さらに、ハザード率は社会基盤施設の特性ベクトルdk\boldsymbol{d}_kによりサンプル個々に設定されます。このことを明示的に表すために推移確率πij\pi_{ij}を、目視点検による実測データξ^k=(i^k,j^k)\hat{\xi}_k=(\hat{i}_k,\hat{j}_k)と未知パラメーターθ=(θ1,,θJ1)\boldsymbol{\theta}=(\theta_1,\cdots,\theta_{J-1})の関数としてπij(ζ^kξ^k;θ)\pi_{ij}(\hat{\zeta}_k|\hat{\xi}_k; \boldsymbol{\theta})と表します。いま、KK個の社会基盤施設の劣化過程が互いに独立であると仮定すれば、全点検サンプルの劣化推移の同時生起確率密度を表す対数尤度を

lnL(θ)=k=1Ki=1JjiJδij(k)lnπij(ζ^kξ^k;θ)\ln L(\boldsymbol{\theta}) = \sum_{k=1}^{K}\sum_{i=1}^{J}\sum_{j \geq i}^{J}\delta_{ij}^{(k)} \ln \pi_{ij}(\hat{\zeta}_k|\hat{\boldsymbol{\xi}}_k; \boldsymbol{\theta}) (17.4)

と表すことができます。式中δij(k)\delta_{ij}^{(k)}はダミー変数であり

δij(k)={1(1回目の健全度がi,2回目がjのとき)0(それ以外のとき)\delta_{ij}^{(k)} = \begin{cases} 1 & (1\text{回目の健全度が}i, 2\text{回目が}j\text{のとき}) \\ 0 & (\text{それ以外のとき}) \end{cases} (17.5)

を意味します。したがって、ξ^k\hat{\xi}_kおよびδij(k)\delta_{ij}^{(k)}はすべて確定値であり、対数尤度関数は未知パラメーターθ\boldsymbol{\theta}の関数となっていることが理解できます。ここで、対数尤度関数を最大にするようなパラメーターθ^\hat{\boldsymbol{\theta}}の最尤推定値は

lnL(θ^)θi=0(i=1,,J1)\frac{\partial \ln L(\hat{\boldsymbol{\theta}})}{\partial \theta_i} = 0 \qquad (i=1,\cdots,J-1) (17.6)

を同時に満足するようなθ^\hat{\boldsymbol{\theta}}として与えられます。このとき、最適化条件は連立非線形方程式となり、ニュートン法を基本とする逐次反復法を用いて解くことができます。

17.5.4 劣化予測結果を用いた分析

上述のマルコフ劣化ハザードモデルを基軸とした多様な劣化予測モデルを用いることにより、社会基盤施設の劣化過程を表現するマルコフ推移確率を推定することができます。推定されたマルコフ推移確率をマルコフ決定モデルに適用することにより、所与の点検・更新政策に対するライフサイクル費用やリスク管理指標(例えば、健全度が1になる確率など)を計量化することができます。なお、点検・更新政策は、点検間隔や更新間隔、予防保全政策か事後保全政策かなどの組合せにより構成されます。点検・更新政策を変化させる感度分析により、リスク管理水準を与件としたときに、ライフサイクル費用を最小化するような最適点検・更新政策を求めることが可能となります[^32]。なお、社会基盤施設のライフサイクル費用評価を行うためのマルコフ過程については3.1.2項を参照されたいです。

図17.5の下部には、劣化予測結果を用いて行われる分析を列挙しています。これらの分析は、マルコフ決定モデルに基づく分析(図17.5下部に細字で示した項目)とそれ以外の分析(図17.5下部に太字で示した項目)に区分することができます。まず、マルコフ決定モデルに基づく分析に関しては、劣化予測モデルの高度化に応じて、用いるマルコフ決定モデルも変化し、多段階ワイブル劣化ハザードモデルの時間依存的なマルコフ推移確率を用いた、非定常マルコフ過程モデル[^33]や、階層的隠れマルコフ劣化モデルの複数の非定常マルコフ推移確率を用いた混合マルコフ過程モデル[^32]などが開発されています。さらに、複数の種類の施設で構成された複合的施設に対して、それらの点検・更新タイミングの同期化政策を考慮した、最適同期化政策も開発されています[^34]。また、単にライフサイクル費用とリスク管理指標を求めることにとどまらず、マルコフ決定モデルをインフラ会計システム[^35]やフォルト・ツリー分析に組み込んだ方法論[^36]や、リアルオプション分析と併用し、点検行為の経済分析を定量化したモデル[^37]や、社会基盤施設の廃棄政策を考慮した、最適廃棄・補修モデル[^38]も開発されています。一方で、近年の統計的劣化予測モデルの高度化やアセットマネジメントの考え方の浸透に伴い、マルコフ推移確率以外の劣化予測結果を用いた分析手法も提案されるようになってきています。例えば、混合マルコフ劣化ハザードモデルの異質性パラメーターを補修前後で別個に設定し、階層ベイズ推定におけるそれらの事後分布の差異を仮説検定することにより、補修効果を定量的に事後評価するための方法論[^39]や、管理事業体ごとの施設の劣化過程の差異を管理効率性とみなし、定量的に評価するための確率的フロンティア分析[^40]が提案されています。さらには、近年、社会基盤施設の点検データはビッグデータと称されはじめ、膨大なデータを用いることにより、道路舗装の最適な管理指標を決定した事例も存在します[^41]。このように、従来のマルコフ決定モデルを用いた分析に加え、劣化予測モデルの高度化に付随し、それらの劣化予測結果を用いた分析手法の多様化が顕著となっています。

17.5.5 混合マルコフ劣化ハザードモデル

マルコフ劣化ハザードモデルに基づく先端的な統計的劣化予測モデルの一例として、混合マルコフ劣化ハザードモデルを取り上げます。マルコフ劣化ハザードモデルの開発により、観測期間長が異なる点検データを用いてマルコフ推移確率を非集計的に推定することが可能になりました。さらに、劣化速度を表すハザード率に内包される特性変数では表現しきれない要因(不可観測要因)の影響を確率変数で表現したような混合マルコフ劣化ハザードモデルが提案されました。図17.6には、混合マルコフ劣化ハザードモデルを用いた劣化予測事例を示しました。ハザードモデルを用いてマルコフ推移確率を推定する際には、図17.6に示すように、ある点検時点での施設の健全度(事前健全度)、つぎの点検時点での健全度(事後健全度)、それらの点検間隔の3種類の情報が健全度ペアサンプルとして最低限必要な情報となります。施設の健全度は、同図に示すような離散的なレーティングにより評価されます。また、交通量や構造条件を特性変数として考慮することが可能となります。さらに、混合マルコフ劣化ハザードモデルでは、劣化速度を表す混合ハザード率が異質性パラメーターと健全度別標準ハザード率を用いて

混合ハザード率 = 異質性パラメーター ×\times 健全度別標準ハザード率

と表現されます。混合マルコフ劣化ハザードモデルでは、現実の施設の維持管理体制に応じた任意の評価単位において施設の劣化過程を推定することができます。図17.6には、橋梁の床版の劣化予測を床版単位で行った結果を期待劣化パスとして示しています。同図から、おのおのの床版の期待寿命は、最短で10年程度、最長で100年以上と、多様に異なることが見てとれます。このように、実際の評価単位に合わせた劣化予測を行うことで、各評価単位で維持管理政策を最適化することが可能となり、結果として、ライフサイクル費用の低減、あるいはリスクの低下が実現されます。さらに、これらの評価単位は、劣化予測を行う管理者の立場によって臨機応変に変化されるべきであり、例えば、図17.6に示した個々の床版単位のような比較的細かい単位の場合には、個々の床版のライフサイクル費用を算出することと比べ、比較的劣化速度の大きい重点監視床版を抽出するといった、短期的政策に主眼が置かれています。一方で、管理事務所単位や路線単位といった、比較的大きな評価単位を採用した場合には、各評価単位での予算計画といった中・長期的戦略に対して、劣化予測結果は有用な情報を提供することができます。

Footnotes

  1. 津田尚扶、貝戸清之、山本浩司、小林潔司 (2006) 「ランダム比例ワイブル劣化ハザードモデル」、土木学会論文集A、Vol. 62、No. 2、pp. 336-355. 2 3

  2. 大井明、貝戸清之、小林潔司 (2019) 「インフラ施設のライフサイクル費用の決定要因に関する分析」、土木学会論文集F4(建設マネジメント)、Vol. 75、I_31-I_41.

  3. 津田尚扶、貝戸清之、山本浩司、小林潔司 (2006) 「ワイブル劣化ハザードモデルのベイズ推定」、土木学会論文集A、Vol. 62、No. 3、pp. 523-536.

  4. 貝戸清之、小林潔司、青木一也、松岡弘大 (2010) 「ポアソン劣化ハザードモデルのベイズ推定」、土木学会論文集F、Vol. 66、No. 1、pp. 67-84.

  5. 小林潔司、熊田一彦、高橋清、大井明 (2008) 「ワイブル劣化ハザードモデルに基づく補修履歴を考慮した舗装マネジメント」、土木学会論文集F、Vol. 64、No. 2、pp. 134-158.

  6. 堀切康隆、貝戸清之、小林潔司 (2016) 「健全度分布を用いた集計的マルコフ劣化ハザードモデル」、土木学会論文集F4(建設マネジメント)、Vol. 72、No. 3、pp. 180-194.

  7. 青木一也、山本浩司、津田尚扶、小林潔司 (2007) 「多段階ワイブル劣化ハザードモデル」、土木学会論文集A、Vol. 63、No. 2、pp. 336-355.

  8. 小林潔司、貝戸清之、林秀和 (2011) 「測定誤差を考慮した隠れマルコフ劣化モデル」、土木学会論文集A1(構造・地震工学)、Vol. 67、No. 2、pp. 250-262.

  9. 水谷大二郎、貝戸清之、小林潔司 (2019) 「検査システム改変を考慮した隠れマルコフ劣化モデル」、土木学会論文集F4(建設マネジメント)、Vol. 75、I_135-I_147.

  10. 近藤裕之、貝戸清之、小林潔司 (2017) 「劣化の不確実性を考慮したインフラ施設の最適補修政策」、土木学会論文集F4(建設マネジメント)、Vol. 73、No. 1、pp. 29-45.

  11. 貝戸清之、小林潔司 (2005) 「マルコフ劣化ハザードモデルのベイズ推定」、土木学会論文集、No. 798/VI-68、pp. 125-136.

  12. 津田尚扶、貝戸清之、青木一也、小林潔司 (2007)「混合マルコフ劣化ハザードモデル」、土木学会論文集D、Vol. 63、No. 1、pp. 59-78.

  13. Kobayashi, K., Kaito, K., and Lethanh, N. (2012) "A Bayesian Estimation Method to Improve Deterioration Prediction for Infrastructure System with Markov Chain Model", International Journal of Architecture, Engineering and Construction, Vol. 1, No. 1, pp. 1-13.

  14. 津田尚扶、青木一也、貝戸清之、小林潔司 (2009) 「階層的隠れマルコフモデルによる舗装劣化過程のモデル化」、土木学会論文集F、Vol. 65、No. 2、pp. 171-190.

  15. 貝戸清之、熊田一彦、林秀和、小林潔司 (2005) 「階層型指数劣化ハザードモデル