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7.6 ITS技術

ITS(intelligent transport systems)は、車と道路を情報通信技術でネットワーク化し、円滑と安全を実現する技術の総称である。車と道路の情報化に関する萌芽的な技術開発は1970年代に端を発するが、ITSの言葉とコンセプトは、1994年の第1回ITS世界会議パリ大会で日欧米の三局が中心となって提案され、世界各国で技術開発と実用化に取り組まれてきた。本節では、ITS技術開発の変遷と、ITS技術を社会実装する際の事前評価に不可欠な交通シミュレーション技術を概観する。

7.6.1 ITS総論と20年の変遷

以下の経緯やITSの全体像、最新動向等は日本のITSを推進する民間団体「ITS Japan」の年次レポート1に詳しく整理されている。

関係省庁が1996年に策定した「高度道路交通システム(ITS)推進に関する全体構想」では、ITS開発9分野、21のサービスが設定され、2006年までの10年間を「ファーストステージ」と位置付けた上で、それぞれのサービスについて開発、実用化、普及のロードマップが示された。ファーストステージでの官民連携の下で、カーナビ、VICS(vehicle information and communication system、道路交通情報通信システム)、ETC(electronic toll collection system、自動料金収受システム)、ASV(advanced safety vehicle、先進安全自動車)等のITS個別要素技術の研究開発が積極的に取り組まれ、実用化、普及したことは日本のITSの成功事例とされる。

さらに、2004年に名古屋で開催されたITS世界会議を機に、続く10年間をITSの「セカンドステージ」と位置付け、ファーストステージの成果をさらに発展させて、「安全・安心」、「環境・効率」、「快適・利便」の観点から社会貢献に役立てることを目指した「ITSの指針」が取りまとめられた。この指針は、2006年に政府が策定した「IT新改革戦略」に反映され、「世界一安全な道路社会」を目指したインフラ協調安全運転支援システムの実用化プロジェクトが官民連携の下で取り組まれた。ここでは、いくつかの象徴的なプロジェクトを掲げておく。

① 警察庁が進める光ビーコンを通じた車両との双方向通信を活用するUTMS(universal traffic management system、新交通管理システム)

② 総務省が進める多様な無線メディアで人と自動車と道路をネットワーク化するユビキタスITS(ubiquitous ITS)

③ 経済産業省が進める貨物車の隊列走行・自動運転技術開発と地球温暖化対策としてのITSによるCO2排出量削減効果の可視化技術開発を核としたエネルギーITS(energy-saving ITS)

④ 国土交通省道路局が進める5.8GHz帯DSRC(dedicated short range communication)によるITSスポットでドライバーへリアルタイムに安全情報等を提供するスマートウェイ(smartway)

⑤ 国土交通省自動車局が進める車車間通信で車両情報を交換し安全運転を支援するASV(advanced safety vehicle)

これらのプロジェクトは、日本ITS推進協議会の下で連携し合いながら、実用化に向けた大規模実証実験が2009年度から2010年度にかけて実施され、一定の成功を収めている。

7.6.2 近年の新しい方向

ここでは、近年のITS技術開発の動向を以下の三つの視点でまとめる。

(1) 自動運転技術導入へ向けた取組み

自動運転の研究は、1950年代に遡るといわれているが、近年では1990年代後半からアメリカのカリフォルニアPATHや欧州のCHAUFFEUR、日本のAHS等での取組みに続いて、アメリカのDARPA(国防高等研究計画局)による無人ロボット車を市街地で走行させるプロジェクト"Urban Challenge2"の華々しい成果に刺激を受け、2000年代後半から日欧米で熾烈な開発競争が始まっている。2014年にはアメリカのカリフォルニア州で自動運転車両の公道走行許可法案が可決されており、実際に数十台が公道でテスト走行を重ねている3

国内でも2013年のITS世界会議東京大会での提言を受けて、2014年度より戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)の下で、SIP-adus(Automated Driving for Universal Services)として、以下の研究開発テーマを中心に自動走行システムの実用化に取り組まれている。

① 自動走行システムの開発・実証

  • 地図情報高度化(ダイナミックマップ)の開発
  • ITSによる先読み情報の生成技術の開発と実証実験
  • センシング能力の向上技術開発と実証実験
  • ドライバーモデルの生成技術の開発
  • システムセキュリティの強化技術の開発

② 交通事故死者低減・渋滞低減のための基盤技術の整備

  • 交通事故死者低減効果見積り手法と国家共有データベースの構築
  • ミクロ・マクロデータ解析とシミュレーション技術の開発
  • 地域交通CO2排出量の可視化

③ 国際連携の構築

  • 国際的に開かれた研究開発環境の整備と国際標準化の推進
  • 自動走行システムの社会受容性の醸成
  • 国際パッケージ輸出体制の構築

④ 次世代都市交通への展開

  • 地域交通マネジメントの高度化
  • 次世代交通システムの開発
  • アクセシビリティ(交通制約者対策)の改善と普及

前出の『ITS年次レポート』(2015年度版1)では、自動運転技術開発に関する特集が組まれており、SIP-adusの動向などが詳しく紹介されている。

(2) 交通ビッグデータ

「ビッグデータ」には厳密な定義はないが、暗黙に「人の活動全般に関わる行動履歴をデータ化したもの」として語られることが多い。このため、交通行動とビッグデータは密接な関係にあり、ビッグデータ活用の主要な分野として認識されている。

交通分野でのビッグデータでは、人・車の移動履歴である「プローブデータ」が代表的といえる。自動車に関しては、国内では2000年代前半に取り組まれた『IPCar実証実験4』での数百台規模でのフィールド実験を皮切りに、プローブデータ収集や分析、交通情報提供に関するさまざまな実証実験が取り組まれ、2003年にはプローブ交通情報を利用した世界初の商用テレマティクスサービス5が始まった。現在では自動車メーカーやカーナビメーカーだけでなく、携帯電話・スマートフォンのコンテンツプロバイダーなどさまざまな業種がテレマティクスビジネスに参入しており、日々大量のプローブデータが収集されるようになった。

これまでのプローブデータは、区間の速度情報としてカーナビでの最短経路探索に利用されるほか、ヒヤリハット地図6や災害発生後の通行実績7等、動的なマップ情報を作成するために使われてきた。ここでは、交通情報提供サービスに関するビッグデータ活用例として、蓄積プローブ情報とリアルタイムのプローブ情報から、価値の高い異常渋滞情報を抽出する取組みを紹介する。

交通情報提供メディアには、大別すると、カーナビや携帯端末のようなパーソナルメディアと、テレビのようなマスメディアの2種類がある。もちろん、それぞれに一長一短があり、単純に優劣をつけるものではないが、パーソナルメディアでの推奨経路案内のような、すでに移動手段として自動車を選択したユーザーに対するサービスよりも、マスメディアを通した交通情報提供によって、出発前のユーザーに対して、移動手段や出発時刻を適切に選択してもらう「プレトリップ」サービスの方が、交通環境改善の面で大きなインパクトがある8ことはよく知られている。

マスメディアを通した交通情報提供サービスは、ある程度受け身でも情報が得られ、より多くの利用者が交通情報に触れることができるため、プレトリップサービスに適しているといえるが、反面、モニター解像度の制約のため、デフォルメした模式図でしか交通状況を示すことができず、交通状況の実態がつかみにくいことや、不特定多数の相手を想定した概況情報しか示せないことなど、いくつかの課題が指摘される。このようなマスメディアによる交通情報提供の課題を踏まえて、プローブ情報を基に、都市部を矩形に区切ったメッシュごとに、「流動指数」と「特異指数」の二つの指標で交通状態を表現する「トラフィックスコープ9」という情報提供サービスが提唱されている。

一つ目の指標である流動指数は、メッシュ内の交通流動が最も低下する飽和状態に対して、どの程度流れているかを定量化したものである。流動指数を求めるには、まず、蓄積プローブ情報から、メッシュ内の道路ネットワーク上を走行したすべてのプローブ情報を基に、集計交通流特性式(macroscopic fundamental diagram, MFD)10(I編4章)を同定する11。MFDは一般に上に凸の関係で近似され、極大点が最も流動性の高い状態であり、そこからエリア集計密度がさらに増えると、流動性が低下する性質がある。ここでは、リアルタイムでこのメッシュを走行するプローブ情報から、集計交通量と集計密度を求めてプロットしたとき、その点がMFDの近似曲線に沿って、極大点にどのくらい近いかを求めて流動指数としている。図7.19(口絵10参照)は、メッシュ流動指数を1時間ごとに示したもので、赤い色のメッシュほど流動性が低く、青いほど流動性が高いことを意味している。

二つめの特異指数は、現在の交通流動状態が、統計的にどのくらいまれなものかを定量化したもので、各時点のメッシュ交通状態に関する確率密度関数に対して、その時点のメッシュ交通状態のエントロピー情報量を求めている。特異指数が高いほど、統計的にまれな状態にあるため、可視化の際はそのようなメッシュをハイライトして、利用者の目を引くことができる。

これまでの経験から、特異指数が高いメッシュ交通状態は、大規模な事故や災害、イベントのほか、気象条件や公共交通の障害等、人々の交通行動に影響する事象に関連して見られる12ことがわかっている。図7.20(口絵11参照)は、図7.19と同じ2009年10月8日(木)における、1時間ごとのメッシュ流動指数と特異指数を色分け表示したもので、赤い色ほど統計的に特異であることを意味している。実は、この日は早朝に台風18号が関東地方を縦断し、朝の通勤ラッシュ時に鉄道その他の交通網が麻痺しており、おそらく普段より自動車を使って都心に向かう人が増えたためか、午前中に激しい混雑状況が都心部で発生している様子が図7.19からうかがえる。ただ、図7.20で同じ時間帯の特異指数を見れば、都心東部から東北部と南部の混雑は特異なレベルにあるが、都心西部のほうはそれほど特異ではないことが示されている。実際、この日は、東京西部方面の鉄道は比較的早い時期に運行が開始されたのに対して、東部・東北部・南部方面の鉄道は河川の橋梁部で強風のため午前中は運行休止となっていたことがわかっており、これらの方面からの交通量が増えたため、激しく渋滞していたと考えられる。

ビッグデータに関しては、しばしばその情報密度の低さが指摘されるが、これは大量の雑多なデータを、ある意図を持って処理することで「情報」とし、さらにその情報を必要とする人に届け、理解してもらって「知識」になるまでに、多くのプロセスを経る必要があることを示している。ここで紹介した特異事象の検出についても、まだまだ「情報」のレベルにとどまっており、特異な状況がどんな原因で生じたのか、これからどうなるのかといった「知識」のレベルまで達していない。今後は、インターネット上の多様なデータとの融合や、シミュレーションモデルとの同化といった観点から、状況理解や予測につながる技術開発に取り組まれる必要がある。

7.6.3 交通シミュレーション技術

(1) 交通シミュレーション開発の系譜

交通流シミュレーションのモデル開発の歴史を文献からひもとくと、その始まりは1960年代後半~1970年代初頭に見ることができる。イギリスでは、信号制御パラメーターの最適化を目的としたTRANSYT13や、ネットワークへの動的な交通量配分を主眼に置いたCONTRAM14、SATURN15といったモデルが、またアメリカではGM式追従走行モデル16に基づくNETSIM17といったパッケージソフトウェアが開発され、現在でも利用されている。

わが国での交通流シミュレーション開発の歴史もアメリカ、イギリスと同時期まで遡ることができ、東京大学生産技術研究所(東大生研)のブロック密度法18や、科学警察研究所のMICSTRAN、MACSTRAN19、DYTAM-I20などのモデルが開発されている。ただ、いずれもin-houseソフトウェアであり、残念なことに今日では使用されていない。

黎明期のモデルには、交通流動学理論(kinematic wave theory)の観点から、渋滞状況の再現性が厳密ではないものも見られるが21、1980年代~1990年初頭にかけては、東大生研のDESC22、AVENUE23、SOUND24、京都大学のBoxモデル25、海外ではCTM(cell-transmission model)26、INTEGRATION27、DYNASMART28といった動学理論における交通流基本特性(fundamental diagram, FD)に従ったモデルが開発された。追従走行モデルに関する研究の進展29とも合わせると、交通流のモデリング技法としては、今日のシミュレーションで利用されている考え方が、この時期にほぼ出そろったといえる。

1990年代以降は、計算機の価格低下や性能向上を背景として、GUIを通したアニメーション機能やデータ入力・編集機能が充実したソフトウェアが数多く開発され、実用に供されるようになった。交通工学研究会による「交通シミュレーションクリアリングハウス30」に掲載されているモデルだけでも十数余を数えることができ、大学や大企業の研究者だけでなく、行政機関やコンサルタント等の実務者にも使われる31までに普及した。

交通流シミュレーションの分類には、よくミクロモデル/マクロモデルという通念区分が使われる。これは、一般には「ミクロ=追従走行モデル」、「マクロ=流体近似の交通流基本特性(FD)モデル」という図式で理解されているが、近年ではマクロモデルに替わって、FDモデルをベースに、車種やOD(origin-destination)の情報を持たせた離散的な車両パケットを移動させる「メソモデル」が利用されるようになってきた。ただ、メソモデルについてはさまざまな粒度のものがあり、リンク単位で車両密度を適正に管理するが、その内部の違いまでは考慮しない"link-wise linear"モデルと、定常走行/停止のモード別にリンク内部の交通状態を区別する"state-wise linear"モデルという区分が提唱されている32。また、交通流モデルの基本原理のほか、車線変更挙動や経路選択挙動のモデル化の有無を考慮した区分33もある。

(2) モデル検証と標準化への取組み

しかしながら、上述のような表層的な区分や、論文、技術資料を読むだけでは、シミュレーションモデルがどの程度の能力があるかを知ることは難しい。シミュレーションモデルがブラックボックス化していることへの危惧は早くから指摘34されており、ユーザーがどのようなモデルを使うべきか、その指針を示すことが喫緊の課題となっていた。

このような背景から、1990年代半ばに欧州の大学・研究機関を中心としたSMARTESTプロジェクト35が始まり、ITSの評価に適した標準的なモデル要件を提示した上で、複数のモデルを比較評価するといった動きが出てきた。同様の動きは、アメリカのNGSIMプロジェクト36でも見られる。

これら欧米での動きは、すでに市場にある特定のモデルを選定し推奨するといった、ビジネス面でも戦略的な狙いを持ったものである。これに対し、わが国では1990年代半ばから土木学会ワークショップ(WS3/WG5)37を通して、よりオープンな立場で標準化への取組みが始まった。これは、標準モデル検証プロセス38に沿った検証(Verification & Validation)とその結果公開(Disclosure)を求める「VVDポリシー」を基本路線として、いわゆる手続き認証の形を目指すものである。その後、活動母体は交通工学研究会に移り、「交通シミュレーションクリアリングハウス30」を通して、標準モデル検証プロセスのマニュアルや検証用ベンチマークデータセットの配布、モデル検証結果の公開等を行っている。

(3) 応用技術の展開と課題

現在、実務レベルで普及している交通流シミュレーションは、そのすべてが「渋滞による損失」を定量化するために使われているといってもよいだろう。ただ、シミュレーションへのニーズはこれにとどまるものではなく、以下のような分野への展開も期待される。

(1) 安全性の評価 安全性の評価に関しては、まだ多くの課題が残されているものの、いくつかの取組みが見られる。一つは、ドライバーの認知ミス等に起因する事故の発生プロセスをモデル化して、直接的にシミュレートしようとするアプローチ39である。これらは、各種施策の事故削減効果を定性的に説明することはできるが、定量評価となると、非常に生起確率が低い事象をモンテカルロシミュレーションすることの是非と、直接観測が難しい人間のメンタルモデルを規定するパラメーターをどのように与えるかに課題があるものと考えられている。

二つめに、車両動線データを多数蓄積し、各データを得たときの状況(コンテキスト)と関連付けた上で、将来その状況が変化したときに動線の交錯等の危険性が高い事象がどのくらい増減するかを求めるアプローチ40がある。これは、事故発生を明示的にモデル化しない、いわゆるデータオリエンテッドなアプローチであり、直接観測できる量だけでシミュレーションが構築できるところに利点がある。しかしながら、ある特定の状況下で収集されたデータで、場所や時期が変わったときの可搬性(ポータビリティ)を完全に担保することには無理があり、結果を解釈・説明する際に、適用可能な範囲を限定するなどの配慮が求められる。

三つめは、ドライビングシミュレーターと組み合わせて、交通流シミュレーションで被験者車両の周辺環境を作りだし、仮想実験で安全性を評価するアプローチ41である。

(2) 環境インパクトの評価 従前より、大気汚染や騒音等の公害対策の評価、あるいは近年の地球環境問題におけるCO2削減のための施策評価で、交通流シミュレーションは活発に利用されていた。これらは、環境分野で研究・開発されてきた「環境評価モデル」へのインプットとして、交通流シミュレーションのアウトプットを利用するものだが、ここでは両者のミスマッチを指摘しておきたい。

環境評価モデルで最もよく利用されているのは、平均速度を説明変数として、指標の原単位を求める「マクロ推計モデル」である。このとき、どのくらいの空間規模で平均した速度を用いているか、留意する必要がある。例えば、騒音評価モデルとしてよく使われている日本音響学会モデル42は、地点速度の時間平均速度が説明変数になっている。これへの入力として適切な地点速度、もしくは比較的短い区間の通過速度の平均値は、容易にシミュレーションから出力できるので、比較的整合性の高い組合せといえる。

これに対し、自動車の燃費を推計する国土技術政策総合研究所(旧土木研究所)モデル43は、数~十数kmの比較的長い区間を走行するトリップの平均旅行速度を説明変数としているが、これにシミュレーションで出力される地点速度やリンク平均旅行速度を入力している事例が散見される。一般にリンクはトリップと比べると非常に短いので、同じ「平均速度」でもその内容は著しく異なることもあり、適切な使い方とはいえない。この場合は、車両を追跡してトリップ単位で平均旅行速度を求めるのが、本来の排出量推計モデルの考え方と整合すると考えられる。

環境評価モデルには、車両の瞬間速度や加減速から運動エネルギーを求め、エンジン燃焼マップでの状態を考慮するなど、精緻に指標を求める「ミクロ推計モデル」の開発44も盛んに行われている。しかしながら、ミクロ交通流シミュレーションで車両の微視的な加減速変動を現実的に再現することのたいへんさを考えれば、安易にこれらを組み合わせるだけでは十分ではなく、シミュレーションでの加減速挙動の再現性について、慎重な検証が求められる。

一方で、交通流シミュレーションで現実的に再現し得るのは、ある区間を通過する車両の走行状態を停止・発進・定常走行といったモードに分けたときの構成比くらいであるという認識に立ち、環境評価指標の推計モデルも、マクロとミクロの中間に位置付けられる方式45を用いる事例も報告されている。

(3) 通信技術の評価 この分野での交通流シミュレーション利用は、文化の違いを反映してか、はっきりと二つの形態に分かれる。一つは、移動体通信方式の性能を精微に評価するため、ns-246やQualNet47等の電波伝播特性やアドホック通信プロトコルを微視的にモデル化した移動体通信シミュレーターと組み合わせて利用する形態である。この場合、交通流シミュレーションは「従」であり、「主」である通信シミュレーター側からライブラリー的に呼び出せることが期待されるが、ソフトウェア設計上の制約で容易ではない場合も多い。また、ミリ秒単位の世界を模擬する通信シミュレーターでは、現実的には高々数百台規模の(通信ノードとしての)車両しか扱えない48とされることから、相性の良い交通流シミュレーションの独自開発[^74]や、既往シミュレーションの小規模ネットワークでの利用[^75]、等の例が見受けられる。

これとは逆に、交通流シミュレーションが「主」となり、通信シミュレーションを「従」として、規模性を求めるとともに、伝達する情報の交通流への影響評価を指向する形態[^76]がある。評価シナリオによっては、数千~数万台の車両を通信ノードとして扱うことが求められるので、移動体通信方式の表層的な挙動を秒単位のオーダーで抽象化し、計算負荷を軽減した「表層モデル」が必要[^77]となろう。このような表層モデルは、通信分野の専門家によって注意深く、かつ汎用的にデザインされるべきだと考えるが、交通分野の専門家とは興味の範囲が違うせいか、適切なモデルやソフトウェアが見当たらず、今後に期待したい。

(4) オンラインシミュレーションによる動的モニタリング オンラインシミュレーションとは、感知器等のデータをリアルタイムに収集し、現在の交通状態から計算を開始して、一定時間将来までの交通状況を予測し、情報提供や交通管制に利用するものである。1990年代後半に始まったアメリカの部局プロジェクトで、DTA(Dynamic Traffic Assignment)技術の研究開発に着手し、Dynasmart-X[^78]とDynaMIT[^79]の二つのシステムが開発されたのが嚆矢である。

国内でも、阪神高速道路が京都大学と共同で開発したHEROIS[^80]や、首都高速道路でのRISE[^81]など、都市高速道路ネットワークを対象としたオンラインシミュレーション開発の例が見られる。これら都市高速道路を対象としたオンラインシミュレーションは、交通量感知器データを入力値に利用するものであるが、このほかにも感知器データが得られにくい一般道ネットワークを対象に、プローブデータを入力する「ナウキャストシミュレーション[^82]」で、現在の交通状況を推定する技術も開発されている。

これらのオンラインシミュレーションは、時間空間での広がりを持つ交通状態の「一部」を観測し、それを「モデル」に入力して初期状態を生成し、観測できない領域を含むすべての領域の交通状態を求める点で共通している。この「データ同化」のプロセスは、気象分野で早くから研究されており[^83]、「カルマンフィルター」[^84]と呼ばれる時系列データへの適用の例が、交通分野でも認知度が高い。さらに、データと数理モデルを同化したシミュレーションは、その先で予測にも使われる点で、気象分野と交通分野は似ているが、一般に気象現象の予測可能な時間スケールは、現象の時空間スケールを反映して数日であるのに対し、交通現象のそれは高々数時間とされている。したがって、気象分野で発展した予測技術をそのまま交通分野に適用しても、常に成功するわけではないことに注意が必要である。(割田博)


Footnotes

  1. ITS Japan:ITS年次レポート2015、http://www.its-jp.org/saigai/、2015年4月10日アクセス. 2

  2. Defense Advanced Research Projects Agency: DARPA Urban Challenge, http://archive.darpa.mil/grandchallenge/、2015年4月10日アクセス.

  3. California Department of Motor Vehicles: Autonomous Vehicles in California, https://www.dmv.ca.gov/portal/dmv/detail/vr/autonomous/bkgd、2015年4月10日アクセス.

  4. 森川高行:車載機の位置情報に関する研究課題とIPCarプロジェクトの概要、情報処理、Vol.42、No.12、pp.1250-1256、2001.

  5. 割田博、岡本直久、吉井稔雄、桑原雅夫:プローブカーデータの収集システムと交通情報提供への応用、情報処理学会論文誌、Vol.45、No.12、pp.2610-2621、2004.

  6. 割田博、田名部淳、堀口良太、赤羽弘和:蓄積プローブ情報を用いたヒヤリハット地図作成、第32回交通工学研究発表会論文集、pp.369-372、2012.

  7. Honda, 本田技研工業 インターナビ リンク、https://www.honda.co.jp/internavi/service/link/index.htm、2015年4月10日アクセス.

  8. Khattak, A.J., Schofer, J.L. and Koppelman, F.S.: Commuters' enroute diversion and return decisions: analysis and implications for advanced traveler information systems, Transportation Research Part A, Vol.27, No.2, pp.101-111, 1993.

  9. 堀口良太、中嶋康博、山口大助、赤羽弘和:プローブ情報の空間的・時間的集計処理に基づくエリア交通状況提供システムの研究開発、第9回ITSシンポジウム2010 Proceedings、pp.337-344、2010.

  10. Daganzo, C.F. and Geroliminis, N.: An analytical approximation for the macroscopic fundamental diagram of urban traffic, Transportation Research Part B, Vol.42, No.9, pp.771-781, 2008.

  11. 堀口良太、吉井稔雄、赤羽弘和:プローブカーデータを用いた都市圏交通流動の基礎的分析、土木計画学研究・講演集、Vol.31、CD-ROM、2005.

  12. 堀口良太、小宮粋史、赤羽弘和:交通ビッグデータを用いたエリア流動特性の可視化事例、第33回交通工学研究発表会論文集、pp.221-224、2013.

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  22. 下浦啓太、越正毅:高速道路における追従挙動を考慮した交通流シミュレーション、土木学会論文集、No.524/IV-29、pp.83-95、1995.

  23. 赤羽弘和、大口敬、鹿田成則:交通流シミュレーションによる高速道路単路部渋滞現象の分析、土木学会論文集、No.653/IV-48、pp.65-74、2000.

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  27. Van Aerde, M. and Yagar, S.: Dynamic integrated freeway/traffic signal networks: a routing-based modeling approach, Transportation Research Part A, Vol.22, No.6, pp.445-453, 1988.

  28. Mahmassani, H.S., Peeta, S.: Network performance under system optimal and user equilibrium dynamic assignments: implications for advanced traveler information systems, Transportation Research Record, No.1408, pp.83-93, 1993.

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  31. 飯田恭敬、井料隆雅、宇野伸宏、中川智皓、中村晋一郎、山崎浩気、大庭哲治、吉岡慶祐:交通流シミュレーションの実務利用に向けたモデル選択と適用に関する課題-名古屋都心部における実証的検討-、土木学会論文集、No.765/IV-64、pp.77-93、2004.

  32. Burghout, W.: Mesoscopic simulation models for short-term prediction, PREDIKT project report CTR2005-03, 2005.

  33. Jayakrishnan, R. and Sahraoui, A.E.K.: Calibration and path dynamics issues in microscopic simulation for advanced traffic management and information systems, Transportation Research Record, No.1771, pp.9-17, 2001.

  34. 飯田恭敬、宇野伸宏:交通流シミュレーションモデルの現状と展望、交通工学、Vol.31、No.5、pp.9-16、1996.

  35. ITS Leeds: SMARTEST website, https://web.archive.org/web/20111002121138/http://www.its.leeds.ac.uk/projects/smartest/、2015年4月10日アクセス.

  36. Federal Highway Administration, Research and Technology: Next Generation Simulation, http://www.fhwa.dot.gov/research/tfhrc/projects/projectsdb/projectdetails.cfm?projectid=FHWA-PROJ-09-0074、2015年4月10日アクセス.

  37. 土木学会:交通ネットワークの均衡分析小委員会ホームページ、http://www.jsce.or.jp/committee/ip/EquilibriumAnalysis/、2015年4月10日アクセス.

  38. 宇野伸宏、中川智皓、大庭哲治、山崎浩気、飯田恭敬:ITS評価のための交通流シミュレーションモデルの検証方法、土木計画学研究論文集、Vol.18、No.4、pp.735-742、2001.

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  40. 川崎洋輔、野村大樹、山崎浩気、井ノ口弘昭:プローブ蓄積データと機械学習手法を用いた交通事故要因分析のためのフレームワーク、土木学会論文集D3(土木計画学)、Vol.70、No.5(土木計画学研究・論文集第31巻)、I_853-I_860、2014.

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